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  • みんなの評価 5つ星のうち 3.8
  • 出版社:

きことわ

葉山の高台にある別荘で、幼い日をともに過ごした貴子と永遠子。ある夏、とつぜん断ち切られた親密な時間が、25年後、別荘の解体を前にしてふたたび流れはじめる。ふいにあらわれては消えてゆく、幼年時代の記憶のディテール。やわらかく力づよい文体で、積み重なる時間の層を描きだす、読むことの快楽にみちた愛すべき小説。

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みんなのレビュー9件

みんなの評価3.8

評価内訳

  • 星 5 (4件)
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  • 星 3 (3件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)

紙の本きことわ

2011/01/31 23:04

そのひらがなは心かもしれない。

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る

時は伸び縮みする。

3分あればカップラーメンだってできるし、かなしくもなるしうれしくもなるし、子どもだって宿ってしまうかもしれない。このお話は、主人公の一人の永遠子-とわこが夢を見ていることに気づきながら夢を見ている場面で始まる。記憶の揺らぎの中にあって25年の時の流れが瞬間でつながる。ひらがなが現れるはずのない場所にひらがなが現れると、そこで急に読むテンポが伸び縮みしてしまうように、25年間会うことがなくとも、会ってしまえばその25年間は何事もなかったかのようにねじれてとけてしまう。

心にとって、時とは何だろう。

時の伸び縮みをとらえるのが心の役割だとしたら、ひらがなは心を表現するために生まれた日本語なのかもしれない。論理の記号としての漢字やカタカナを超えて、ひらがなは、歴史という男どものストーリーをあざ笑うかのように1000年ぐらいのときも軽く超えてしまう。軽く超えて今の時を飲み込んでしまう。数え切れないほどの死の連なりも、決定的に刻印される肉親の死も、今という時は淡々と飲み込んでいて、そんな今に直面する心からはひらがなくらいしか出てこない。思えば、伝わる言葉は心の中でひらがなにして話しているような気がする。

かつて、葉山の海辺の別荘にあった親密な時間は、25年の時を経て、別荘の取り壊しと共に記憶の海の中に雲散霧消し、それまで夢を見なかった貴子-きこは夢を見るようになる。そしてその夢も日々の心の移ろいの中に溶け込んでゆく。そういう今があって、更地になった別荘のあとにも雨が降って、新月が出ていて、眺める人がいる。それを読むわたしもいる。

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紙の本きことわ

2011/07/18 07:30

宮崎駿作品として観てみたい

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 第144回芥川賞受賞作。選考委員から絶賛された作品であるが、私の読後感でいうと、戯れて書くのでも放り出して書くのでもなく、心を平坦にしていうのだが、この作品は宮崎駿の世界によく似ている。
 どこがどう似ているというのではないが、作品全体が醸し出す雰囲気が、たとえば『となりのトトロ』であったり『耳をすませば』であったり『魔女の宅急便』であったりといった宮崎アニメのもつどこか懐かしいものを喚起させるのだ。
 選考委員のひとり高樹のぶ子の選評のなかに「感覚でつかまえたものを物や事象に置き換え、そこに時間の濃淡や歪みを加えて、極彩色の絵画を描いてみせた」という表現があったが、その評自体がそのまま宮崎駿の世界観ではなかろうか。

 物語は貴子(きこ)と永遠子(とわこ)という二人の女性の、幼い頃の時間とそれから二十五年を経た現在の時間とを交差させ描かれる。
 「とりとめのない一日の記憶」の中では貴子は八歳、永遠子は十五歳である。だから、二人のいまはそれから二十五年を足しこめばいい。
 二十五年という歳月はどれほどのものかは言い難いものがあるが、永遠子のそれが四十歳ともなれば、二人の間に流れすぎた時間の量は、やはりそれが人生の深みであったといえる。
 それでいて、二人は逢えなかった時間の量を一瞬にして越えてしまう。それは二人が子供の頃に過ごした葉山の別荘地での再会で、時間の量を越えてしまうきっかけは「巨大な百足(むかで)」という、そういう小道具の使い方も、私には宮崎駿的に思えた。

 そういえば、と選考委員の池澤夏樹の選評を思い出したのだが、池澤は「いくつもの時や光景や感情がアニメのセルのような透明な素材に描かれ」て見事な構成をなしていると書いていたが、それはやはりこの作品がどこかアニメのような印象を読む者に与えることによる評価ともいえる。
 ただ、私が宮崎駿との世界観に似ていると書いても、それはこの作品の出来栄えをけなすことではない。
 物語としての爽快感はなんともいえない。むしろ、宮崎駿の作品によるアニメ化が実現すればどんなにいいだろうかと願っている。きっと素晴らしい作品になるのではないだろうかと、夢のように思っている。

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紙の本きことわ

2011/03/04 12:06

揺らぎの中の哀しみ

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ががんぼ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 芥川賞受賞作。先にこの作家の『流跡』をまず手に取って見たが、ちょっと読めないと思った。複雑な狙いがあるのかもしれないが、読めない。
 この『きことわ』は比べればはるかに読みやすい。わりとちゃんとストーリーがあるからだろうか。広い意味では普通の小説と言ってよいと思う。
 三浦半島の別荘の持ち主の娘である「貴子(きこ)」と、その別荘の管理人の娘である7歳年上の「永遠子(とわこ)をめぐる話。別荘を処分することになって、二人は25年ぶりに再会する。
 二人の様子も、語りの文体も淡々としている。だが、淡々とした出来事のようでいて、いつのまに、というふうにひそやかに、人の死や不倫という人間関係のドラマが織り合わされる。
 時間というのが重要なモチーフであることやスタイルのせいで、この作家はしばしばプルーストのようだと言われているらしい。だが、私自身は、少なくともこの作品については、むしろヴァージニア・ウルフを思った。時間のテーマや意識の流れなどは共通しているわけだが。
 海と別荘というのが、ウルフの中でも『燈台へ』を連想させたが、それだけではないと思う。
 よく言われるように、また作家自身も言うように、時間や空間が混じり合う。あるいは絡み合うというべきか。夢と現実も、過去と現在も、「そこ」と「ここ」の間の境界も曖昧である。二人の存在もそうで、エピソードとして描かれる「髪」のつながりに象徴されるように、存在としてのつながりがある。実際、肉体的に絡み合う描写もあるが、エロスというようなものとは異質だろう。
 時間については、別々の時がいきなりつながったり、太古の時のイメージが混じったり、夢のような描写である。一方でその夢のような描写の中で、五感に訴えるイメージは味覚に至るまで非常に強く、夢であるという解釈を拒むかのようだ。つまりここでも、夢と現実との境界は揺らいでいる。
 そうした揺らぎ、たゆたう水のように、つながりまた離れるイメージの中で浮かび上がるのは、「哀しみ」というものではないか。一つにつながり得る存在、あるいは時空が、離れること、あるいは離されることの、そこはかとない哀しみ。人間関係上の距離感と、時間のずれとの重奏の中で浮かび上がる哀しみ。それがヴァージニア・ウルフを思わせる。ウルフの『燈台へ』で、誰もが愛する夫人の死や、ついに実現しない燈台行きの哀しみが描かれるように、『きことわ』にも何かしらそうした切ないものが滲む。この作家は、歳は若いが孤独というものを理解し、それを描ける資質を持っていると思う。
 夢というのが一つのキーワードであるのは間違いあるまい。冒頭は「永遠子は夢をみる。貴子は夢をみない。」というエピグラフのような二行。そのあと*に続いて物語が展開する。結末近くでは、「貴子は生まれてはじめて夢をみた。」という一文。だが、それは最後の最後では「夢をみたことなどすぐに忘れていった。」これが何を意味するのか、考えさせるような知的な刺激がある。別荘とそれがなくなる意味も考えてみたくなる。
 芥川賞選考委員の一人である村上龍が選評で、(このややこしい時代なのだから)伝えるべきものをちゃんと持たないといけない、というようなことを書いていたが、この言い方には違和感がある。この作家は、たしかに、語るべきものも、そのための言葉も、持っていると思う。

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紙の本きことわ

2011/03/01 17:27

同質性を楽しむ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る

幼い頃、葉山の別荘でともに数日を過ごした貴子と永遠子。
最後の夏に貴子は小学3年8歳、永遠子は高校1年15歳。
貴子は別荘の持ち主の娘、永遠子は管理人の娘でした。

しかし仲の良かった二人は、
自分たちの髪や体が一体となり
どれが自分だか、相手だかわからないほど
同質性に溢れていました。

それから25年たち、貴子の家は別荘を手放すことになり
二人は再会をします。

永遠子にはちょうど小学3年の娘がいて
あの頃とシンクロしやすく
貴子もまた、小学3年の終わりに亡くした母の年齢を
超えていることに感慨を深くします。

「永遠子は夢をみる。
 貴子は夢をみない。」
と始まるこの物語は、夢と過去と現実とがないまぜになり
数億年の生命のれきしも織り交ぜながら
ふたりの時間を再び流れさせます。

たおやかな二人も、幼い頃の優しい匂いも
想い出のかびくさいノスタルジーも
この著者にかかるとすべて上質な味わいになります。

二人の行動のなかに美しく織り込まれる自然描写がいい。
別荘の庭の荒れた部分や変わらない日の光。
海岸の地層も雲の動きも、姿が見えない海鵜も
印象深く物語に陰影を落とします。

予想に反して、物語がきちんと帰着しつつ
未来に開かれています。
技巧派でありながら、のびのびとした感じがします。

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紙の本きことわ

2011/04/12 11:45

きこちゃんととわちゃんがとわにあいしあうはなし

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る



せんだってこの著者の「流跡」という小説、のような女学生の駄作文を読まされて酷評した私でしたが、これはなかなかの佳作だと思いました。

まずタイトルがよろしい。ずーっと「きことわ」という奇妙な言葉と語感が妙に気になって仕方がなかった。キノコの名前かなあ、あんまり有名では古語かしら、と色々想像をたくましゅうしている間に、見事に著者の策謀の罠にとらえられてしまってわたくしは、これあるがゆえに芥川賞を貰えたんだなあ、とはたと思い当たったのでした。

じつはこれはなんとまあ「貴子さんと永遠子さん」というふたりの女性の仲良しこよしの物語なのでして、まあぺこちゃんとぽこちゃんが葉山の別荘で黒髪をわかちがたく結び合わせて眠っているありさまを、「ぺこぽこ」と呼称するに似たようなネーミングなのでした。

それは軽い冗談だとしても、この小説では緑深い海辺の別荘を舞台に少女時代の「きことわ」、そして成人してからの「きことわ」が懐かしい日々をしのび、今と昔が数珠つながりになっているように感じられるその数珠を、かったみにひとつずつまさぐるようにして確かめていく。その瞬間に呼び覚まされる幻視の切なさと鮮やかさを、散文でありながら詩語のような馨と味わいで紡いでいく名人芸に大方の選者は驚嘆したのでしょう。

こんなに若い著者なのに、まるで幸田文か宇野千代のような老成の目を備え、大人の女の機微に鋭く光らせているようです。


きことわとはきこちゃんととわちゃんがとわにあいしあうはなしです ぼうよう

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紙の本きことわ

2011/12/25 11:32

この小説の中の誰かの記憶なのか、読んでいる自分の記憶なのか。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:アヴォカド - この投稿者のレビュー一覧を見る

時間について、時間が流れることについて、夢について。
7歳違いの2人の女の子「きこ」と「とわこ」の、じゃれてかじったりつねったりしているうちに、どちらの腕がどちらのかわからなくなる感じについて。互いの耳に吹きかけあう湿った甘い息について。
その25年前の記憶と現在の、等しさと差異とについて。

どうしてこの人、こんなに大人なのだろう。こんなにホンモノなのだろう。
作品に年齢は関係ないっちゃあ関係ないけれど、この人の落ち着きには驚かされる。
若書きにありがちなトホホ部分は、まず見られない(いや本当は少しはある。でもほとんど気にならない)。

実体がないのに、流れ去ってゆく感覚だけが確かに残る時間。夢。
自分が夢で蝶となったのか、蝶が夢を見てこの自分になっているのか、という「胡蝶の夢」のような不思議さと、鮮やかさ。

読んでいるうちに、この小説の中の誰かの記憶なのか、読んでいる自分の記憶なのか、わからなくなるほど。
その隙間にじゃれたり髪をとかしあったり恋や死や思い出や、そのすべてに時は等しい重さで流れるということの、軽やかな残酷。

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紙の本きことわ

2011/11/14 17:59

文章の美しさに陶酔し、そして読者自身の幼少期と現在、そして未来を照らし合わせてみる格好の機会を与えてくれる一冊。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トラキチ - この投稿者のレビュー一覧を見る

第144回芥川賞受賞作品。芥川賞作品なので短いですが、じっくりと腰を据えて読まなければ少し難解かもしれません。
というかこの作品の良さがわかりづらいと思います。なぜなら現実と過去の出来事が25年間の歳月を越えて語られるのですが、どこまでが夢でどこまでが現実がわかりにくいからです。
それてにしてもひらがなを多用した文章、作者の気品の高さの表れでしょうか、登場人物も柔らかく感じられます。
夢をみる、みないという表現が作中で使われテーマとなっていますが、私的には貴子と永遠子の四半世紀ぶりの再会そのものが夢を叶えたと読むべきだと思います。
2人を断ち切ったのも、再会させたのも春子なのでしょうね。

内容自体は本当に単純な話です、それを作者が味付けしてるわけですね。
葉山の別荘を引き払うことになって25年ぶりに再会する貴子と永遠子。
当時貴子が8歳で永遠子が15歳の7歳差でこの差がお互いの記憶の差を如実に物語っております。

そして再会の現在、15歳だった永遠子は40歳に。8歳だった貴子は亡くなった母・春子の享年と同じ年になっています。
永遠子の娘の百花が、くしくも25年前の貴子と同じ年齢であるということも物語に影響を与えていますね。


敢えて曖昧というかわかりづらく書くことによって、より幻想的にして想い出を永遠のものとしているのでしょうか。
もっとも印象的なのは再会のシーンですね、挨拶もなく「百足が出た」という言葉で始まります。

だらだらした関係でなく、距離感を保っているところが高貴な雰囲気を作品全体に醸し出しており、読者も身を委ねてしまうんだと思います。
ただし、ちょっと男性読者は入り込みにくいかもしれません。

ラーメンを作る3分を長く感じさせて、25年間という2人のかかわらなかった時間の膨大な長さを読者に示唆しているのでしょう。

正直言って、少し読み取りづらかったのですが、根本的に芥川賞作品に物語性を求めること自体問題があるのだと思います。
作者の独自の世界観を味わい余韻を楽しむべき作品である、それが私なりの結論です。

私的には本作で過去の自分を懐かしみ、そして未来に対して少しですが工夫をすることを教えられた気がします。
それはまるで作中で永遠子が貴子に知らない蓮根の料理法を教え、それを貴子が父親に帰って伝授したように。

言いかえれば、総じて男性読者はその世界観にどっぷりと漬かりにくいですが、ちょっと傍観者的な貴子の父親の立場で娘の幸せを見守りたいと思い本を閉じました。
ちょっと私の感想もわかりづらいですね、作者に感化されたのかもしれませんね(笑)

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紙の本きことわ

2011/03/03 16:22

島田雅彦の選評に惹かれて読み通したが‥‥。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:東町愚太 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ものすごい文章力だが、語られていることは、普通の人の思考・感受性ではない。
してみると、貴子も永遠子も天才と紙一重の神経症患者?
長い小説ではないけれど、その根本的な土台が気になって、“苦役列車”に乗っているようでした。

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紙の本きことわ

2011/05/20 10:24

「きことわ 」貴子と永遠子の物語

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:soramove - この投稿者のレビュー一覧を見る

第144回芥川賞受賞作品。


「幼い日をともに過ごした貴子と永遠子、
別荘の所有者の娘と管理人の娘は
親の死などにより疎遠となったが
25年後、別荘を解体することになり
ふたたび僅かな時間を共有する」


「苦役列車」の西村 賢太の個性が強烈で
話題をさらわれている感があるが、
読んでみてその内容というか、
描き方にも大きな差があり
知的で理性的な文章には
小説の圧倒的な「熱」は感じられない。


子供の頃の記憶は誰だって曖昧だ、
だから小説の主人公達が
果たして本当に自分に起きたことなのか、
それともただの思い違いなのか
そんなことはいくつもあるだろう。

で、この小説の場合
その記憶の曖昧な部分が
何かに導かれるのかと
期待しながら読んでいくと
殆どはただ空間に放り投げられ
また別の事柄へと移っていく。


まあ、そんなものかなとも思う、
人間の思考回路はそう単純でもないから
あれこれ突拍子もなく色々考えるわけで
そんな何気ない時間を
小説で描くとこんな感じなのかな。

もっと理屈っぽくて
読みにくいのかなと思っていたが
すっきりと抑制された文章で
あっという間に読み切った、
「苦役列車」とかけ離れた文章と内容で
この2作品の合わせ技的な受賞という
そんな感じを強く持った。


でも描きたいことその一点で描き切った
「苦役列車」と比べると
あまりに何も起こらなさすぎで
141ページ読み切っても
20ページくらいの短編を読んだような
やはり物足りなさが残った。


ここには魂を揺さぶられるようなものや、
暫くはそのことについて考えてしまうような
強烈な「何か」は無い、
短編小説を読んだ
清冽な感じはあるものの
これが代表作と言われると
そうなのかなと。

面白かったかと聞かれたから
そうでもない
そんなところ。


★100点満点で65点★


soramove

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